野口みずきの貧乏な幼少期!父は誕生日プレゼントを渡せなかった

野口みずきさんは日本女子マラソンの現日本記録保持者であり、

五輪の金メダリストですが、陸上選手として活躍されるまでは金銭的に大変な生活を送られていました。

苦労した生活ぶりについてご紹介します。



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高校進学が危ぶまれていた幼少時代

野口みずきさんが陸上を始めたのは中学校からでした。理由は、

友達に誘われたから。というもので、はじめのころは練習が嫌いで練習をさぼったりもしていたそうです。そんな中でも、駅伝大会に出場するなど、試合での達成感からだんだんと練習が好きなりだし、中学時代には、三重県大会で上位に入賞し進路に注目が集まっていました。

 

しかし、野口さんの父親の最終学歴は中卒。

そして、野口さんの姉・友代さんと兄・尚徳さんも中卒で働いており

みずきさんだけ特別扱いして高校に進学させたら、兄弟に可愛そうだと思い当初は

高校に進学させるつもりはありませんでした。

 

長女・友代さん(47)
長男・尚徳さん(42)
次女・みずきさん(37)
次男・正宏さん(35)

 

しかし、姉・友代さんと兄・尚徳さんは父親に対し、

姉・兄
みずきを高校に行かせてあげて。その分、私たちが頑張って家族を支えるから

といったという。

 

その後、父親をみずきさんが出場する中学の大会に連れていきました。

そこで娘が走る姿を見て父は

我が娘ながら、かっこよかった。足の運びが美しかった

と思い、姉と兄の説得もあり野口みずきさんは推薦で県立宇治山田商業高校に進学されることになりました。



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当時は、ランニングシューズも先輩からのおさがりを使っていたそうです。

 

失業保険で食いつないだ貧乏時代

晴れて、高校に進学し高校卒業後1997年にワコールに入社したのですが、

1998年10月に当時のワコール監督:藤田信之さんが会社と対立し、野口さんも

監督に付いていくことを決意し、ワコールを退社されます。

 

当時、会社に残って仕事をして暮らすという選択肢もあったが、

監督やコーチについていきたいという思いが強く、ワコールを後にする決断をされたそうです。

 

職がない間は失業保険で食いつなぎ5か月間の空白期間を経て

グローバリー会社に入社することになるのでした。

 

父が語る娘みずきの困窮時代

野口みずきさんのご両親は父の稔さんと母の春子さんという方で

春子さんには連れ子が2人いたため、親族からは2人の結婚を反対されていました。

 

そこで、駆け落ちという形で誰も知っている人がいない土地(三重県伊勢市)に移住されます。伊勢市での生活は困窮を極め、父親がパチンコ店の転々としながら働いてきたお金で生活していたという。

 

父曰く、

自転車に乗る友達のあとをいつも走ってついて回った
子供たちの誕生日も祝ってあげたことがない
小学校の運動会では常に1番をとっていた
みずきも幼少の頃から経済状況を理解していたと思います。家族が協力し合わないと生きていけないと分かっていた。欲しいものがあっても、絶対にねだらなかったし、わがままもほとんど言ったことがなかった

 

また、妻の春子さんが入院した際にはタクシー代が払えず、往復4時間をかけて

歩いて行ったこともありました。タクシー代を払えば、その日の食事代が無くなるためしかたがないことだったとか。

 

 



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