青学一色恭志の中学・高校時代の経歴・記録!昔の写真など 

青山学院大学長距離界のエースとして活躍してきた

一色恭志選手。この記事では、一色選手の経歴に関する情報を

お伝えします。



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基本情報

一色 恭志(いっしき ただし)
生年月日 1994年6月5日(22歳)
出身地 京都府与謝野町
身長 169cm
体重 55kg
血液型 O型

一色選手が陸上を始めたのは小学校5年生のころで、

小学校1年生のときに学校のマラソン大会で優勝するなど元から

陸上の才能があったようです。

 

 

橋立中学時代 2007年入学

そして

中学入学時、サッカー部、テニス部、陸上部のどの部活動に

入るか迷い、陸上部に入部を決断。

当時の陸上部の顧問の先生がいい人で以来走るのが好きになったようです。

 

こちらが、中学時代の一色選手の記録です。

さすがに、一般人レベルからすると当たり前ですが速いですね笑

800m

2009年7月27日  当時中学3年生 2分2秒31 京都中学陸上

2009年8月06日 当時中学3年生 2分2秒19 近畿中学総体

2009年8月06日 当時中学3年生 2分4秒10 近畿中学総体

2009年8月22日 当時中学3年生 1分57秒90 全日本中学陸上

2010年2月11日 当時中学3年生 2分00秒92 ジュニア室内

 

1500m

2007年7月08日 当時中学1年生 4分43秒13 通信陸上京都

2008年8月31日 当時中学2年生 4分22秒54 京都府記録会

2009年7月05日 当時中学3年生 4分15秒15 通信陸上京都

 

3000m

2009年8月30日 当時中学3年生 9分14秒20 京都府記録会

 

 

高校時代(仙台育英高校 豊川高校時代)2010年入学

そして仙台育英高校に2010年に入学されます。その後、当時の仙台育英高校の顧問を務めていた、

清野純一さんが豊川高校に転勤することになり、

後を追うように、一色さんも豊川高校に転校されました。

 

こちらが高校当時の記録です。

800m

2010年5月01日 当時高校1年生 1分58秒20 日体大長距離

2010年5月21日 当時高校1年生 1分59秒08 宮城高校総体

2010年5月21日 当時高校1年生 1分59秒78 宮城高校総体

2010年5月21日 当時高校1年生 2分01秒06 宮城高校総体

2010年6月19日 当時高校1年生 1分58秒89 東北高校総体

 

5000m

~仙台育英高校時代~

2010年 9月25日 当時高校1年生 14分42秒58 日体大長距離

2010年10月23日 当時高校1年生 14分42秒89 日体大長距離

2010年12月04日 当時高校1年生 14分38秒47 日体大長距離

2011年 4月30日 当時高校2年生 14分46秒60 日体大長距離

2011年 5月23日 当時高校2年生 14分43秒41 宮城高校総体

2011年 8月05日 当時高校2年生 14分29秒17 全国高校対抗

2011年 8月06日 当時高校2年生 14分22秒21 全国高校対抗



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2011年 9月24日 当時高校2年生 14分16秒37 日体大長距離

2011年12月03日 当時高校2年生 14分15秒96 日体大長距離

~豊川高校時代~

2012年 4月07日 当時高校3年生 14分22秒90 金栗選抜熊本

2012年 6月09日 当時高校3年生 14分02秒46 日体大長距離

2012年 6月23日 当時高校3年生 14分00秒31 長距離記録会

2012年 9月22日 当時高校3年生 14分05秒07 駅伝強化豊川

 

高校3年生のときには豊川高校のエースとして全日本高校男子駅伝に出場し
チームを日本一に導き自身も区間賞を獲得されました。

 

このころから、メディアに注目を集まりだしました。

 

 

青山学院大学時代(箱根駅伝)

そして、青山学院に入学すると、1年生から箱根駅伝の1区を任され

1区として1年生歴代最速タイムを記録します。

そして2年次、各校のエースが集う華の2区

全10区間の中で最も距離の長い23.1kmで、

外国人留学生も多い区間を任され区間3位に。

そして、3年次も同じく2区を任され

再び区間3位の走りを見せます。

一色選手
自分の力というのは日本の学生長距離界の中ではまだまだなんだなと痛感させられました。

一色選手
このままでは終われない。

そう思った一色選手は4年次の箱根駅伝でリベンジを果たすために新しい挑戦として、

箱根駅伝から2か月フルマラソンに初めて挑戦します。

一色選手
これ以上キツイことはこの先ないだろうというくらいキツかった

とレース後に語った初マラソンでは2時間11分45秒という好記録を残します。

 

さらにお次は上半身の強化に取り組みました。

一色選手の代名詞である、綺麗なフォーム。これだけでは勝てないことを実感し、

上半身を鍛えることでさらなる高みを目指しました。

 

わきの下の部分にある前鋸筋を鍛えることで、腕の振りが大きくなり

より力強い走りになるという。

 

そして、4年次の箱根駅伝では2区を走り区間2位の記録されました。

 

青山学院大学卒業後

大学卒業後、いくつかの企業があったがその中から

アドバイザーとして現原監督が就任しているGMOアスリーツという会社に就職されることになりました。

一色選手は小さい頃からオリンピックに出たいという夢を持っており、

今後フルマラソンでオリンピック出場を目指していくようです。

 



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